「北杜市のおばあちゃんの家はいずれお前が引き継ぐからな」
北杜市の祖母の話になると父親がよく私に言っていた。
その時は自分も社会人として働いており、家庭もあったしそこまで深く考えてなかった。
そんなことを言われ始めた時は、まだ祖母も健在で商店も一人で切り盛りしていた。
まだ若いころにその商店を引き継ごうかと軽く両親に提案したこともあったが、
「そんなのはやめておけ」と軽く流されてしまったことを覚えている。
今考えると、なんでちゃんと引き継がなかったのかと後悔している。自分のあほ。
そんなこんなで祖母の家をどうするかということは頭の奥に押し込められ、埼玉でサラリーマンをやっていた。結婚し子供も3人授かり、忙しくも家族みんなでなんとか暮らしていた。
だが、子供が成長するにつれて今の暮らしに息苦しさを感じるようになっていった。
会社に属していると、休みが思うように取れない、体調を崩しても簡単に休めない、子供といる時間が作れないなど、生き方・働き方について改めて考えるようになった。
きっかけは学資保険とソリューション営業について調べ始めたこと。
教育系YouTuberの到来により、気軽に生き方について学べるようになった。
自分は子供の頃から世間知らずで無知だった。
人生やお金、仕事について20代後半までまともに考えたことが無かったといっても過言ではない。
どうやら会社に勤めるだけがすべてではないようだとわかったのもその頃。
起業や副業という選択肢もあることを恥ずかしながら社会人になり子どもを育てるまで知らなかった。
いや、知っていたのかもしれないが自分には関係ないものだと思っていたのかもしれない。
会社で働く自分に限界を感じていた。よく体調を崩していたし、この仕事を定年までずっとやっている自分を想像できなかった。
自分なりに調べて本業の合間に副業を始めてみた。
まずはブログ。有名なブロガーの人がYouTubeでやり方を説明していたのですぐに始められた。
次はせどり。楽天経済圏で暮らしていたので始めやすかった。Amazonの方は手続きがうまくいかず断念。あるあるだがYouTuberも試してみた。やってみてこれは大変なことだとわかる。
どれも上手くいったと胸を張って言えるものは無かったが、起業について本格的に考えるようになっていった。
同時期に、子供たちの将来についてもよく考えるようになった。
すくすくと成長していき、あっという間になんでもできるようになっていく子供たち。
なんでも吸収し、やらせればすぐに上手になっていく。
このままでいいのだろうか。
私はゲームが好きだった。
子供の頃から大好きで、大人になった今もよく遊んでいる。
私の母親がゲーマーだったのが原因だと確信している。
家には幼少時からゲーム機があったし、特にゲームで遊ぶことについて寛容な家庭環境だった。
ファミコン、スーファミ、64、PS、PS2、ゲームボーイ、アドバンス、DS、3DSなど大抵のものは遊んできた。
その環境が良かったのかはわからないが、親になった今、同じように自分の子供にはゲームをやってほしいとも考えている。
「人生の大事なことは全部ゲームが教えてくれた」とまではいかないが、知識や想像力、感動や興奮など普段じゃ味わえないことも体験できた。
コミュニケーションツールとしても役に立ったと思っている。
友達と一緒にゲームで遊んだ記憶は今でも懐かしく良い思い出だ。
可能ならそれを自分の子供にも体験してほしい。
さらに今はゲームが「eスポーツ」となって一つの職業として認知されるまでになった。
どんなことでも、好きなことで生きていけるようになってきた。なんと素晴らしい。
そんな時代に、会社員だのサラリーマンだの公務員だのしか提示してあげられないのは可哀そうだと思うようになったのは言うまでもない。
なんでも体験させてあげたい。可能性を提示してあげたい。たとえその全てが身にならなかったとしても、可能性をつぶすことだけはしたくない。
ゲームは悪だの頭が悪くなるなどという理由でゲームに触れさせないのはやはりおかしいと感じていた。そんな親はずっとスマホいじってるのに?
確かにゲームはよくやり玉にあげられることが多い。ずっと部屋に引きこもって誰とも話さず勉強もせず学校にも行かず暴言はいたり暴力ふるったり、マナーや礼儀作法やコミュニケーションができないとなれば大変だが、それは周りの大人がしっかり見守ってサポートしてあげれば大丈夫なのではないかとも思う。
周りの大人、特に親がゲームしている子供をほったらかしにするのがいけないのではないか。
「私はゲームやらないからわからないけど、子供が1人でずっとなんかのゲームやっているから不安で・・・」などとよく聞くが、これは歩み寄ろうという姿勢がまるで感じられない。否定する親に限って、対象について全くの無知であることが多い。
話はズレてしまうが、eスポーツカフェとしてオープンする前、eスポーツ体験施設として開放していた時に、地域の団体(子供関係)の人たちが来て、
「ここがゲームセンターになるって聞いたんですけど」と尋ねてきたことがあった。
名乗りもせず、挨拶もせずいきなりそんな態度で来られたのでびっくりしたのだが、
「ここはゲームセンターではなくeスポーツを体験してもらう場所です。eスポーツはご存じですか?」とお伝えしたところ。
「知らない」とただ一言返された。
eスポーツ体験施設として、SNSでもチラシでも地域に対して宣伝していたのだが、どうやらよく調べず、噂だけで突撃してきたようだ。
「そんなんで子供たちをちゃんと守れているのか」と、不安になったが、それも子供たちを思ってのことだろうとぐっと飲みこみ、大人の対応をしてお帰り頂いた。それ以来現れてはいないが。
「まだそんな大人もいるんだな」と地方ならではなのか、とても驚いた出来事だったのを覚えている。
つまりは、周りの大人がしっかりサポートすることが必要で、そういった場所、環境が必要だということである。
これはゲームだけの話ではないはず。
親であれば愛する我が子にはなんでも体験させてあげたいと思う。私たちはそう。
自慢じゃないが、私には人より優れているものが何もない。
自分が講師や先生になって教えるということも難しい。
ただ場所は提供できる。
みんなが自由に楽しくなんでも体験できる場所。
誰からも否定されず、心理的安全性が確保された場所。
とまではいかないにしろ、最初の一歩を踏み出せる場所としてなら作れるのではないか。
北杜市の祖母の家、「スーパー八ヶ岳」ならそれが実現できるかもしれないと思った。
つづく
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